11月15日の日本経済新聞(夕刊)の”こころ”欄に作詞・作曲家で歌手の小椋佳さんの記事が掲載されていた。内容は小椋さんが古希を迎え「生前葬」コンサートに関するものだったが、その中で小椋さんは現代の若者に言葉の大事さを訴えている。
小椋さんは次のように語っている‟作詞・作曲家として言葉にはこだわってきた。言葉を磨くのは大切だが、今の日本では言葉を磨くこと自体、絶望的にならざるを得ないのが実情だ”‟今の若い人は何に対しても憤りません。社会の動きとか政治の問題とかについてもです。例えば、これだけ国債が大量に発行されて国家財政が真っ赤っかなのに、政治家は言葉だけで実際はなにもせず、将来世代に借財を押しつけている。そして若者も近視眼的でとりあえず苦労しない方を選ぶ。この国の先行きはちょっと絶望的です。”そして小椋さんは言葉や文章の大事さを訴える。‟この何十年かで音楽、音、絵、漫画等の表現方法が表に出てきて、言葉や文章は裏通りに追いやられ、結果的に言葉の貧困化が起き、コミュニケーションも曖昧化している。言葉を失うことは、考えなくなるということです。人間は言葉でものを考える、だから言葉を失うと、思考停止状態に陥ってしまう。”‟かすかな希望もあります。後輩世代が出てくるときは、必ず先輩世代を批判して出てきます。今の幼子たちがこれから先輩世代の何を否定して登場するかです。しかし言葉をすでに失っている親の世代が、どう子供たちに言葉を教えるのか。そう考えると絶望的にならざるを得ないのが、日本の実情かもしれません。”
以上
筆者より:今の時代はテレビ(地デジ、BS、CS)、携帯電話(携帯、スマートフォン、アイパッド,アイフォン等、以下携帯電話等という)、パソコン等による情報がありすぎます。ほとんどの国民は情報に翻弄され「こころ」をぐちゃぐちゃにされ、思考能力が低下して、人間性を失ってしまっています。
今後人類は世界の人々に夢・希望そして繁栄を培うために、早急に携帯電話等、パソコンを地球上から抹殺し、言葉を中心にコミュニケーションの充実した生活を営む必要がある。
以上
筆者:荒井 昇
荒井会計HPでは当該ブログおよび荒井会計通信(No1~24)で上記に記載したようなコメントが至る所に出てきます。ぜひ購読して下さい。
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街の緑を守ろう、それを破壊してでもオリンピックを優先するのか!!

9月6日の日本経済新聞(夕)に中央大学の理工学部教授の石川幹子氏が次のような内容の文面が記載されていた。氏は『人間は命がないところでは住めません。狭い路地でも鉢植えを楽しむように,緑は大小にかかわらず命の仲間です。共同体に必要なのが公園や緑地。辻、鎮守の森、広場と、共有の場はどの社会にもありした。誰でも差別なく自由に使える空間が本物の緑地で、これをしっかり持っている都市は強いです』と述べ、明治政府は1873年に公園制度を創設し、東京の上野や浅草、大阪の住吉や浜寺、京都の円山をはじめ寺社の境内などが公園になった。
緑地は偶然残ったわけでなく、明治の人は富国強兵だけでなく、とても文化的でした。世界の主要都市でも公園造りには理念があると説く。
『ニューヨークのセントラルパークは「民主主義の庭」富裕層にも貧しい移民も楽しめる空間として、周囲の受益者負担で整備した。パリは「都市の肺」としてプロ―ニュとバンセンヌの森を造り、「セーヌに開く」という理念がある。米国のボストンは1872の大火を契機にネットワーク型の緑地「エメラルド・ネックレス」を造ってきました。そして20世紀にも中心部の高速道路の地下化を30~40年間も議論して2008年までに地上を緑地帯にしました。この時、新聞が賛否両輪を取り上げ、大きな役割を果たしたのです。』
2020年の東京五輪で国立競技場整備で神宮外苑の森が伐採(外苑の木が1800本伐採)されようとしています。『神宮の森は練兵場だった何も無いところに周到な計画で100年かけて造り上げたすばらしいものです。木々を残せるプランを練って提案したいと思います。』
『前回(1964年)の東京五輪では江戸時代以来緑地の遺産を食いつぶしました。高度成長の時代でやむを得ない部分もありましたが、今やこれだけ豊になり環境を重視する時代です。前回の五輪で減らした水と緑の資産を取り戻してはどうでしょう。』
いまの日本は「失われた20年」「デフレ経済」そして「アベノミクス」等と、マスコミを初め多くの国民は毎日不況だ不況だ・・・・と大騒ぎしていますが、戦後の日本、40年前の日本そして30年前の日本の国民の生活と較べて、はるかに贅沢の暮らしをしています。よく足下を見つめてください、いまの日本は不況などではありません、国民全体が贅沢ぼけになっているだけです。このような国民の鬱状態と偏見から抜け出すには、自然を取り戻し自然から生き方を学ばなければ再生できないことを理解してください。
筆者:荒井 昇
追記:上記のような内容の記述が、当事務所で発刊している「荒井会計通信」NO1~24に記載されています。ぜひ参考にしてください。
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9月12日の日本経済新聞の夕刊(ぱ-そん)に本や映画で話題になった「奇跡のリンゴ」を生みだした青森県弘前市のリンゴ農家、木村秋則さん(64)が紹介されていた。各地を奔走して自らの経験とノウハウを伝え、実践者が増加しているという。
私もベストセラ-になった本を読み、また当事務所で連載中の「荒井会計通信」で関連記事を過去記載したことがあった。その著の中で『木村氏は30年前に6年間も無農薬でのリンゴの栽培に挑んだが成果が出なく生活は困窮し「死んでわびよう」と思い自宅近くの岩木山に登った。山中で木に縄を投げて引っかけようとした瞬間に見事の成熟したリンゴの木を見つけた。実際はドングリであったが、草ぼうぼうの中で肥料なしで育つ秘密は湿気を帯びたふかふかの土地にあった。山の土を再現するために、自分の畑を草ぼうぼうに伸ばし、大豆を撒いて土を改良した。ついに3年後リンゴの花が咲いた。』と記述している。
私も賞味したことがあるが大きさは普通のリンゴの2回りぐらい小さいが、リンゴ本来の自然の味がして非常に美味しいリンゴだ!!
その後、木村さんの奮闘はテレビや本で紹介され、昨年は映画もヒットし「自然栽培」への関心は全国各地で高まった。木村氏品質改良を重ねたリンゴに比べ、コメや野菜の自然栽培は難しくない。そして流通量が増えれば価格の下がり、一般消費者が買いやすくなる」と、いま全国各地を指導や講演のために飛びまっわている。
俳優の菅原文太氏も木村さんの自然栽培に感銘を受けて、土壌を改良して、付加価値の高い野菜を高級レストランや市場に供給している。自然栽培は人体や自然に優しいだけでなく農薬や肥料等のコストや手間を減らし、収穫量が多少減っても利益率が上がる、実に効率的栽培法だと木村氏は断言する。
自然に優しい人は人にも優しい人でもある。人間世界は自然と対話して常に生きていかなければ、その発展も豊かさもそして幸せも実感出来ないのである。大正以降、世界の資本主義国家は常に自然に逆らって生きてきた。この行く末は断末魔の渦中に没するであろう。
筆者:荒井 昇
上記に記載した内容の表現は「荒井会計通信」NO1~24でも別な角度でコメントされています、ぜひ一読してください。
なお近々「荒井会計通信」NO25を発刊しますので、楽しみにしてください。
先日能科学者の中野信子さんがTBSラジオで次のような発言をしていた。
男女間のストレスを分析すると
①まず夫婦間では
結婚して年が経つにつれて、お互いにストレス度の強度が強くなる。
②学校において
男子校と女子校比較するとはるかに男子校の生徒にストレス度が強い。
女子校の生徒にはそれほどストレスはない。
③お酒はほどほどに
仕事疲れや憂さを晴らすため寝る前に深酒をして泥酔する人が多いが、これは科学的に脳波を測るとストレスは解 消せず逆に溜めてしまう。医学的にも肝臓、血圧や心臓に負担をかけいいことがない。
④ストレス解消には
適度に異性(女房でない)と付合うのが一番いいとのことでした。
さてあなたのストレス解消方法(男性同士だけでお酒飲まないよう)を今から見直した方がいいようです。
筆者:荒井 昇
標題の文言は我々にとって一番大切な倫理であるが、人間社会は今誰も自然を大事にしなくなってしまった。それがいつ頃からなのか歴史を紐解いていけば、多分世界的では英国で産業革命が始まった18世紀中頃以降で、日本では1868年の明治時代以降と言える。この結果、この約100年で地球環境の約3分の2を失ってしまったのでだ。
環境が破壊されたことによって甚大な被害は人間だけでなく生態系のほとんどを壊してしまい、地球上の生命の尊厳を否定してしまったことだ。これにより現代の人間社会は生物としての自立が出来なくなりつつある。このため世界的に精神疾患者が蔓延するようになってしまったのだ。鬱病、ノイロ-ゼ、引き籠もり、携帯・パソコン依存症、ペット依存症等いま日本人の約4分の1が重・軽渡の精神病と言われている。
また一方、環境破壊による温暖化が益々進み、最近では世界的にも異常気象が多発し、生物の生態系もどんどん壊してきてしまっているのだ。
次回以降に続く
今回のテ-マの環境問題が、今後どういう方向に人間社会を含め生物に影響し、どういう結果に終わるのかを記述していきたいと思います。上記に繋がる考察の書き込みが連載中の「荒井会計通信」NO1~24に記述されています。ぜひ「荒井会計通信」にアクセスして今後の人生のヒントにして頂ければ幸いです。
筆者:荒井 昇